ペンペントンボ

                 作品81



 猛暑だった。目まいがするほどである。ここは

丘陵地帯だから木陰に入ると、心持ち涼しく感じ

る。ちょっとした仕事の帰りで汗だくになって歩

いていると、4・5才の子供達が道端で遊んでい

た。つくづく子供は元気だなぁ、と感心してしま

う。

 一人の女の子が、路肩にしゃがみこんで生えて

いる雑草をじっと見つめていた。昔、子供の頃俺

もこんなことをした記憶がある。その時は、知ら

ないおじさんが雑草の話をしてくれたっけ……。

面白い話だったけれども、今は一つしか覚えてい

ない。それは、あの子が見つめているペンペン草

の話だったのである。

 「おじょうちゃん、その草の名前知っているか

い」

「ううん、しらない」

「おじさんが、面白いお話をしてあげよう」

「うん」

「これはね、ペンペン草って言うんだ」

「ペンペン草? 変な名前ね」

「ほら、これは葉っぱじゃないんだけど、葉っぱ

みたいのが面白い形をしているだろう。これがね、

三味線のバチに似ているんだ」

「シャミセンってなあに」

そこに男の子がはいってきた。

「三味線ていうのは、昔のギターのことでしょ」

「あははは、ギターとは違うけど似たようなもの

かな。この葉っぱの大きいので糸をはじいて音を

ならすんだ」

「へぇー」 

「このペンペン草も鳴らすことが出来るんだよ」

「うそぉー」

「うそだい」

「うそじゃないよ。いいかい、こうやって三角の

葉っぱをちょっとだらんとするくらいにむいてや

って」

「私の、葉っぱ取れちゃった」

「もっとそうっとやるんだ。そして、いいかい、

茎を指で回してやるんだ」

「わぁっー、面白い。パチパチって音がする。ペ

ンペン草じゃなくて、パチパチ草ね」

「うーん、大昔はそういう名前だったかも知れな

いね」

「そう、きっとそうよ」



 俺は、ある企業に雇われている諜報部員である。

競争相手の会社の秘密情報を命を掛けて探る仕事

をしているのだ。映画で出てくるようなあんな格

好のいいものではない。現実は、もっときびしい

のである。

 こんな風に無邪気な子供と話していると、心の

中が洗われていくようだ。大人社会の塵が消えて

行くように。

 ところが、職業病だろうか、ペンペン草につい

てのある情報を思い出した。それは以前ある国の

秘密研究所に忍び込んだ時だった。恥しい話だが、

書庫の中に隠れていたらそのまま鍵を掛けられて

しまい、閉じ込められてしまったのである。タイ

ムロックになっているので、明日の朝にならない

と開かない。仕方がないから、そこに豊富にある

本のうちの一冊の古文書を読んでいた。そこにペ

ンペン草の記述があったのである。それはどうも

おとぎ話のようで、日本のに例えれば「天女の羽

衣」であった。そしてその羽衣は、ペンペン草で


編んだ物であるという奇妙な記述が鮮やかに記憶

に残っている。何故なら、ペンペン草では全然夢

がないと思えたからである。

 ところが、その古文書にはそのペンペン羽衣の

製法が載っていたのである。俺は馬鹿馬鹿しかっ

たけれど、なにしろ閉じ込められてしまっていて

暇なので惰性で読んでしまった。読み進んで行く

うちにその羽衣は、宇宙船のことをさしているこ

とに気付いた。その浮遊原理がペンペン草の回転

であることが明記されていた。残念ながら、どの

ように回転させるかという記述のところが虫に食

われていて分からなかった。その頃のペンペン草

は寸法が大きかったらしい。ひょっとしたら現在

のと違う種類なのかも知れない。竹トンボではな

く、子供達はペンペントンボを飛ばして遊んだと

いう記述もあった。

 ヘリコプターを発明した人は、きっとペンペン

コプターを作りたかったのかも知れないなと、苦

笑したのも鮮明に覚えている。



「どうしたの? おじちゃん」

「ああ、ごめんごめん。それからね、力いっぱい

回して放すと空にまいあがるんだ」

「うっそー」

「うそかもしれないけど、やってみよう」

「へんなのぉ」

 俺は、昔の記憶をためしてみたかったのである。

両手で茎をこするようにして高速に回転させ、放

した。驚いたことにペンペン草は空の彼方に飛ん

で行ったのである。

「あっ、本当だ。ねぇ、ねぇ、おじちゃんどうや

ってやるの。教えて、教えて」

俺は、呆然とたたずんでいた。有り得ない事態だ

った。その飛び方は風に流されて行ったという飛

び方ではなかった。明らかにペンペン草自身が飛

んだ飛び方だった。

 それを見ていた子供達が一斉にペンペン草を回

してほうり投げ始めた。しかし、ただ一つとして

飛ばなかった。俺ももう一回挑戦してみた。

 駄目だった。

やはり何か特殊な条件があるに違いないと思った。

たぶんそのことがあの古文書の虫食いの部分に

書いてあったのだろう。



 俺は、生化学の大家である関野祐子博士を訪ね

た。彼女は若くて美人で、しかもその仕事は世界

超一流である。俺は、彼女のような知人を持って

いてとっても鼻が高い。

「その話、ほとんど眉唾ね。うそでしょ」

「俺が君の立場だったら、きっと同じ事を言うと

思うよ。でもね、事実なんだ」

「目の錯覚じゃないの?」

「あそこにいた子供達が全員同時に目の錯覚かい

? それこそ信じられないな」

「集団催眠とか?」

「疑うのはよしてくれ」

「ペンペン草ねぇ。こんなものが飛ぶのかしら」

と、博士がペンペン草を力いっぱい回転させた。

すると、飛び上がって天井にはりついて、さらに

上昇しようとしてパタパタしていた。

「しっ、信じられないわ。飛んだのね。ほら」

「う、うん。と・ん・だ」

俺は、感動のあまり声がうわずってしまった。

「これは、研究の価値があるわね。すこし時間を

下さいね、難しそうだから」

 それから、彼女は研究室にこもりっきりになっ

た。俺は、安心して待つことにした。彼女は天才

の誉れが高いので必ず謎を解いてくれるだろう。


 数ヶ月後、関野博士から連絡があった。謎の糸

口が見つかったというのである。

「少なくとも、ペンペン草のミトコンドリアと、

回転モーメントと、葉っぱ(本当は種子)の幾何

学的位置が相互に関連しているらしいの。いいか

しら? ペンペン草の模型を竹ヒゴで作って、そ

の葉っぱの位置にペンペン草から抽出したミトコ

ンドリアを浸し、小型モーターで回してみるわね」

 彼女は、ペンペントンボの模型をセットし、ス

イッチを入れた。

「浮いた!!」

「そう、でも、まだ飛ばないのよ。だから、モー

ターが重過ぎるからかなと思って、色々と実験し

てみたんだけど、質量には関係無いことが分かっ

たのよ」

「物理法則を無視している」

「いいえ、違うわ。現在私達が知っている物理法

則を超越しているだけなのよ。自然にはまだ解決

できない不思議な現象がたくさんあるのよ」

「そんなものなのかなぁ」

「実はまだ仮説なんだけど、ペンペントンボは重

力歪を作り出すみたいなのよ」

「重力歪っていうと、星みたいに質量が大きい場

所に起こるっていう、あれかい」

「ええ、そうよ。超質量がなければ歪まない重力

場が何故かペンペントンボで歪んでしまうのよ」

「物理学の方にも明るいんだね」

「ちょっと、知合いの物理学者に聞いたの」

「その人、君を変な目で見なかったかい?」

「ええ、初めは。でも、このペンペントンボが浮

かぶところを見たら目付きが変わったわ。だから

続きは、彼に任しちゃったの」

と、ちゃめっけたっぷりに舌を出した。これが世

界一流の科学者とは信じられない。

 その数日後、彼女から連絡があった。遂に謎が

解けたというのである。

「本当は、まだ謎が解けたわけじゃないんだけど、

竹ヒゴじゃなくてピアノ線とか、カーボン繊維を

使ってやると飛ぶことが分かったの。つまり、葉

っぱどうしの電気的結合が必要だったのよ。そこ

まで分かったら後は簡単。つまり、ペンペン草の

回転は、ミトコンドリアへの回転電磁界を与える

手段だから、これらは実際にペンペン草を回転さ

せなくとも簡単に電子回路で実現できるのよ。こ

の回転磁界のコントロールをうまくやると自由自

在に空を飛ぶことが出来るの。こうやって……」

 おもちゃ屋に売っているようなUFOが机から浮

上した。そして、彼女の持っているリモート・コ

ントローラーで自由に動かすことが出来た。

 新しい動力源が開発できたのである。ガソリン

などを爆発させて運動エネルギーを取り出すとい

う野蛮なものではない。重力の歪を用いての無公

害なエネルギーと、無限の利用価値の発見なので

ある。

 自動車のタイヤというのは着陸時の足としか認

識されなくなるだろう。家庭用電力プラント等と

いうものもできて、落雷である地域が一斉に停電

するという事態も避ける事も出来るだろう。航空

機の墜落事故は無くなるだろう、なにしろ空中停

止できるのだから。宇宙船も小型化できる。

 そうかと思うと、重力歪を利用した肩懲り治療

装置とか、簡単に物を覚えることの出来る学習装

置というようなまがいものも出現するだろう。

 ううっー。いちどきにこんなに沢山のことを考

えていたら頭がいたくなってきた。



 「どうしたの? おじちゃん」

俺は、クーラーの良く効いた部屋のベッドの上だ


った。

「あれっ。ここはどこだい」

「おじちゃんは、ペンペン草を鳴らしていたら倒

れちゃったのよ。家に運ぶの大変だったんだから」

 そこへ、その女の子のお母さんらしい人が部屋

に入ってきた。

「あら、気がつきましたか。熱射病だったらしい

ですよ。今日は猛暑ですからねぇ。ところで、ペ

ンペントンボってなんですか? さかんに、うわ

ごとで言ってましたけど」

「そんなことを言っていましたか? 実をいうと

私は、文房具の卸をしているのですが」と、商売

がら多種類の名刺を持っているうちの一枚を渡し

た。



                             −おわり−


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