ラブシンクロナイザー
水野 真作 作品48
僕は、みーこちゃんが大好きだ。彼女に恋している。だが、困ったことに彼女は僕に何の関心もないようだ。さらに僕だけではなく、彼女を取り巻く男性全員に関心がないとしか思えない。生化学の難しい研究に夢中になっているからかもしれないが、もし、彼女に現在意中の男性がいないとすれば、まだ僕にもチャンスがあるにちがいない。
みーこちゃんは、テニスをやっているのでとてもプロポーションがいい。髪も長く、パッチリとした目と長めのまつげ。話をしていても流暢な口ぶりで、聞き上手でもある。だから、世間話をしていると、つい時間がたつのを忘れてしまう。研究中の彼女は鬼のようだが、一度研究室を出るととんでる女の子に変身する。
昼食後の休み時間のことである。
「あのねぇ、聞いて、聞いて! この前ねぇ、原宿を歩いていたら、わりと当たりそうな占いやっていたの。それで、みてもらったのよ。そしたら、失礼しちゃうのよ。私は、男運が良くないって言うの。だから、とっても頭にきちゃったわ」
「そんなの気にしなくてもいいよ。占いなんて、まず当たらないものなのさ。それに、科学的根拠がないじゃないか」
「夢がない人ねぇ。占いって案外当たるのよ」
「君みたいのを占いプッツン娘っていうんだってさ」
「なによ、コチコチの石頭」
「とにかく、統計的にみて占いは当たらないんだ。これは事実だぞ」
「ええ、そうかもしれないわ。でもね、気になったから、そのあとで星占い、タロット占い、手相とか、色々とみてもらったのよ。そしたらもう、泣きたくなっちゃったわ。全部が全部、男運がないっていうのよ」
「それは大変だね。統計的にみても興味があるなぁ。いったいどう男運が悪いんだい?」
「良い男が見つからないんじゃなくて、私と相性の合う男性が現れないってことなの。もし、間違って結婚したら、すぐに破滅して離婚だって言うの」
「へぇー、本当だったら困ったものだね」
「占い師達が、裏で手を組んでいるんじゃないのかしら」
「でも、何のために?」
「そうねぇ、私をいじめても、何の得にもならないし……」
「気にしないほうがいいよ」
「出来れば、気にしたくないわ」
「僕が、君の悪運を追い払ってやるよ」
「ほんとう?」
「ほんとうさ」
「でも、おかしいわよ。占いを信じない人がそんなこと言うなんて」
「それもそうだな」
二人は、あどけなく笑った。
僕は、あまり占いなどは信じない方だが、今回だけは信じることにした。というのも、今やっている研究に関係しているからかもしれない。ちょうど僕は生理心理学の研究にも手を出していて、特に動物の愛情に関する研究を行っている。
最近の研究の結果では、愛情は、どんな動物でもある基本的な現象によって生成、消滅することが判った。したがって、この基本的現象をコントロールすることによって彼女を手に入れることが出来る可能性が大きい。
生物の基本的な本能を司る部分は大脳の旧皮質に潜んでいて、愛情もその一つである。人間の愛情の場合、それは新皮質まで及んでいるが、そのきっかけは旧皮質より発生することが判っている。この旧皮質から新皮質に送られる信号は局部的で弱いが、僕はそれを観測する機械を開発した。また、その信号にL波と名付けた。これはLOVEからとった名前である。
一目惚れという現象は、瞬間的に相手のL波のパターンに同調したものと考えられる。このL波同調機構は、その人とおしゃべりをしたり、酒を飲みながらくだらない話をしているときに強化される。つまり、コミュニケーションによってL波同調が強められるのである。人付き合いが良い人は、この同調スピードが速い人でもあるが、かといって、同調すれば必ず愛情が生まれるとは限らない。つまり、脳にはそのL波を分析する機構があって、そのスペクトルがある関係になったときに愛情が発生するのである。人間以外の動物は、このスペクトル解析が乏しいが、人間の場合にはこの機構がかなり複雑に機能しているようである。
みーこちゃんを含めて、多くの人のL波を調べてみると、みーこちゃんのL波は他の人とかなり違ったパターンであることがわかった。彼女のL波と同調をなんとかとっても、愛情までは発展できないのである。だから占い師達が相性の合う男性が現れないとみたのだろう。そうすると、みーこちゃんと僕の相性をよくするためには、彼女のL波を変更し僕のL波と愛情関係にするか、その逆にするかの二つに一つである。基本的にはどちらでもいいのであるが、僕自身のL波を変えることにした。というのは、当然ながら本人に知られずに彼女のL波を変えるのが困難であることの他に、彼女自身のL波がとてもユニークな波形だったからである。これを裏にかえしていうと、僕が彼女のL波に強力に同調すれば、僕が彼女を独り占めに出来るということである。もし、彼女のL波を僕のと同じにすると、僕のL波のパターンはざらにあるので競争相手が多くなってしまうからである。
片思いのパワーは絶大で、彼女のL波に位相を合わせる機械、ラブシンクロナイザーを急遽開発することができた。この機械は、生体の持つL波位相同調機能を強めるだけであって、スペクトルを改変して愛情自体を発生させることはできない。また、半径1m以内の人間のL波に位相同調するようになっているため、目的の人以外に同調しないように注意する必要がある。L波は、その性質として一度同調すると、しばらくはその波形を記憶し、蓄積効果があるので、彼女と一緒にいる時間が長ければ長い程二人のL波は似た形になっていき、双方に愛情が発生するのである。
このラブシンクロナイザーは、超小型コンピュータでコントロールされる複雑な電子回路を含んでいるにもかかわらず、超小型化技術を駆使してポケットに入る大きさにすることができた。これは、大変な苦労だった。しかし、みーこちゃんとの愛のためならばこんなことはたやすいことだった。
◇ ◇ ◇
成功だった、みーこちゃんは急に僕に関心をもちだした。デートを何回か重ねるうちに、まわりも羨む、あつあつのカップルとなった。
ある日、僕は遂に彼女にプロポーズすることを決心し、彼女と会った。
「久しぶりだね」
「なに言っているの、昨日会ったばかりじゃない」
「昨日の夜別れてから凄く時間が長く感じたからさ」
「どうして?」
「それはね、……」
僕は突然口ごもってしまった。ここで、プロポーズの言葉を言うはずだった。ところが、魔可不思議にもプロポーズする気が全く無くなってしまったのである。それどころか彼女を異性とは感じなくなってしまったのだ。これはどうしたことだろうか。僕はこの難問をしばらく考え続けた。確かに僕は彼女を好きなのだけれども、キスをするとか抱擁するとか、深い愛情の表現をする感情が無くなってしまったのである。
何故こんなことが起こってしまったのだろうか? ラブシンクロナイザーは、正常に動作しているのに……。その日は、後味が悪いまま別れた。
数日後、この原因はL波自身の性質よりも、人間自身の性質にあることをやっとつきとめた。つまり、二人のL波が完全に同調して同じ波形になってしまうとL波上では個々の見分けができなくなってしまい、人間の脳がナルシシスム状態になったと判断してしまうからであった。正常な人間は皆ナルシシスム状態を回避する機構を持っているので、全く同じL波を持つ人間はお互いに愛情を持てないのである。
◇ ◇ ◇
僕は、みーこちゃんが大好きだ。だが、困ったことに彼女と僕はお互いに深い愛情を表現することが出来なくなってしまった。悲しいことだが、紛れもない事実である。もっと悲劇的なことに、僕がみーこちゃんと同じL波になってしまったので、必然的に誰とも相性が合わなくなってしまった。
開発が不可能に近いL波スペクトル変更装置でも作るか、みーこちゃんを諦めるしかないのだろうか?
「ねぇ、私達この前まで恋人同士だったはずよね」
「うん、そうだった」
「いったいどうしちゃったのかしら」
「これはすべて僕の責任なんだ。君のせいじゃない」
「訳を聞かせてちょうだい。こんなもやもやっとした気分のままだと、一日中うっとうしくてやりきれないわ」
「実はね……」
僕は、ラブシンクロナイザーを作った動機から動作原理、何故二人の間にはわだかまりができてしまったのかを詳しく説明した。
「嘘じゃないのその話、信じられないわ」
「本当さ、嘘だったらもっとましなのを考えるよ」
彼女は、まだ半信半疑のようだったが、何かを思い付いたそぶりで言った。
「ふうぅーん、それもそうね。じゃあ、今度は私の番ね」
「私の番って何の事だい」
「ひ・み・つ」
それからみーこちゃんは、自分の研究室にとじこもって何やら怪しげな事をやっていた。研究中のみーこちゃんは、普段の顔つきとは違ってしまう。何で、こんなに女は変わることが出来るのだろうか不思議だった。
ある日、みーこちゃんがバレンタインデーでもないのにチョコレートをプレゼントにくれた。付いていた手紙には、『私が作ったチョコレートです、一人でこっそりと、私の愛情をかみしめて食べてください』と、書いてあった。
おいしかった。
いろいろな味のものがあって結構楽しめた。本当に彼女が作ったのだろうか、お菓子作りも天下一品である。素晴らしい女性だ。
次の日、僕は彼女の研究室にチョコレートのお礼に行った。ドアを開けると、待っていたかのようにみーこちゃんが立っていた。
目と目を見つめ合った。
そのまま二人は自然にキスをした。
「どうだった? L波変調トランスミッターのお味は?」
「何だい、それは」
「ナルシシスム・ブロッカーともいって、外からきたL波がナルシシスムを形成する時に出来る脳内神経回路をブロックする神経伝達物質のことよ」
「うぅーん、そうか。そんな手があったんだね。気が付かなかったよ。あのチョコレートはとってもおいしかったよ。でも、今のキスの方がもっと素敵だったね」
「ありがとう。うれしいわ。でも、一つ気になる事があるの」
「なんだい」
「占いって当たるのかしら?」
−おわり−
作 水野 真
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