心休まり草

                作品 96



 地下鉄を浅草で降りた。あずま橋の東側のビ

ール会社の屋上に異様な造形物が横たわってい

た。金色でぴかぴか光っている。

「あれ、なにかしら」

俺のフィアンセの祐子が指を差した。

「なんだと思う?」

「あれ」

「あれって、あれかい?」

「そう」

「はずれ、もうすこし考えてみて」

「そうねえ、瓢箪かへちまのお化けかしら」

「それって、見たまんまだろ。もう少しイメー

ジを逞しくしてごらん」

「そうねえ、UFOかしら。それともお墓のよ

うなビルの狭間にある火の玉」

「いいとこいってるけどはずれ。正解は『心』。

フランスの有名なデザイナーの作品だってさ」

「ふーん、こころ。心ってどこにあるのかしら」

「昔、日本ではお腹にあると思われてたんじゃ

ないかな。切腹して清廉潔白を証明したりして

いただろ」

「あらっ、心臓じゃないの」

「そういう意見もある。漢字の心って字は心臓

の形からきているんだったね」

「だから心臓の方が古くから考えられていた場

所よ。それに今だってそう思っている人も多い

わ」

「今は、脳にあると考えられているね。でも、

解剖してもそんなものありゃしない」

「心って何かしら」


「それは人間にとって永遠の謎だろうね。でも、

俺には君を愛するっていう心があるってことは

確かだよ」

「うれしいわ」



 雷門から本堂までかなりの数のお店が並んで

いる。

「あらっ」

祐子は突然路地の中を入っていった。

「どうしたんだい突然」

「家の庭に咲いている珍しいお花に似ているの。

でもこれ違うわ」

「へぇー。一回見てみたいね。あれ、この花、

磯の香りがする」

「そう、匂いもちがうわ。そうだ、あなた暇で

しょ、ちょっと家に来てみて」



 俺は、その足で祐子のところに行った。

 庭の木漏れ日に祐子の微笑みがきらめいてい

た。とってもきれいだった。

「私、この花を見ると妙に心が休まるの」

「この花は、ラベンダーの香りがするなぁ」

「そうなの。とってもいい匂い」

「本当に珍しい花だね、どうしたんだい」

「分からないわ、知らないうちに家の庭に咲い

ていたのよ。それに、植物図鑑を調べても載っ

てないの」

「どこかの大学の偉い先生に聞くといいかも知

れないよ」

「でも、名前が分かっても何の徳にもならない

わ。綺麗ならば名無しでもいいの」

「そうかも知れない。でも、ちょっと個人的に

調べてみたいな。2・3本いいかい」

「いいわよ」




 と、いう訳でその花をその道では権威のある

相原博士に鑑定をお願いした。

その花を見た相原博士の反応は尋常ではなかっ

た。何を話しかけて何の応答もなくなってしまっ

たのである。俺は相原博士の研究室をしかたな

く出た。

「相原博士に鑑定を依頼したら、博士が金縛り

になっちゃってね」

「えっ、相原博士って、あの相原威博士のこと

?」

「うん、植物学では日本で1・2を争う人さ」

「あれ、私の叔父さん」

「なんで早く言わなかったんだい。わざわざ知

人を探して紹介してもらったのが馬鹿みたいだ」

「ごめんなさいね。叔父さんって家にくるとよ

く金縛りにあうのよ。だから、権威のある人だ

なんて冗談だと思っていたの」

「あの金縛りって持病なのかい」

「さあ。叔父さんの話では私の家以外では金縛

りにあったことが無いと言っていたわ。それど

ころか、私の家には悪魔が棲んでいるんじゃな

いかなんて言うのよ。あの人、本当に科学者か

しら」

「祐子の叔父さんがいままでに君の家以外で金

縛りに会ったことが無いとすれば、その悪魔は

あの花じゃないかな」

「まさか。あの花は悪魔じゃなくて天使よ。心

が休まるんだから」

「あの花の名前、金縛り草にしよう」

「いやっ。心休まり草にしましょう」

「ぴったりだと思うけどね」

「ダメ。もっと花の気持ちになってちょうだい」

「花になんか気持ちがあるのかい」

「あるに決まっているじゃない。植物には全部

「

そうかなぁ。脳味噌もないのに心があるわけ

もない」

「心って脳味噌とは違うのよ」

「いや、物を考えない生物に脳はないし、だか

ら心もない」

「心は心なの。物を考えなくっても心は存在す

るのよ」

「だってこの心休まり草って、私の心を和ませ

る心を持っているわ」

「それは、君の心がそうしているんだと思うよ」

「そうかしら。金縛り草だったら叔父さんの心

が金縛りをかけるのかしら、ほとんど自殺行為

よ。そうだったら叔父さんって心の病気を持っ

ているってことになるわ」

「うーん。そうだ。その花が特殊な匂いを出し

ていて、祐子には心が休まるように、相原博士

には金縛りになるって寸法ではどうだい」

「もしそうだとしても効果が違いすぎるように

思えるわ」

「ほとんど逆の効果だからね。でも、アルコー

ルだってそうだろ。お酒をおいしいって飲む人

と、どこの馬鹿がこんなまずい液体を飲むんだっ

て言う人に分かれるぞ」

「分解酵素の問題ね。香りを分解して益にする

か、反対に毒にするかっての違いかもしれない

わね。でもね、これは匂いがそうさせている場

合のことよ」

「いや、他の要因でも似たような結論になると

思うよ」

「そうかしら。信じられないわ。やっぱり心が

あるってほうが納得がいくわ」

「俺は納得はいかない」

「夢が無いのね」

「止めよう、この議論には結論がない」


「結論は無いけど、事実はあるわ。花には心が

あるって」

心があるのよ」

「あのなぁ。俺を怒らせるつもりか?」

「そうね、止めましょう真実は誰にも分からな

いから」

 そう言いながら祐子は、その花の香りをかい

だ。すると、彼女は相原博士と同様に金縛りに

あってしまった。俺はあわてて祐子のほっぺた

を平手打ちした。

「いたっ。痛いわねぇ。なにするのよ」

「何言ってるんだい。今、君は金縛りにあって

いたんだぞ」

「うそぉ」

祐子は虚ろな目で抗議した。

「何で俺が嘘付かなければならないんだ?」

「せっかく良い気持ちでいたのに」

「良い気持ち?」

「そう、とっても安らいだ気持ち」

「危険かも知れない」

「なぜ?」

「麻薬のような作用だからさ。これが習慣性に

なってだんだんと脳を蝕んでいくんだ」

「そんなことは無いわ」

「麻薬患者はたいがいそう答えるんだ」

「馬鹿にしないで」

「俺は君が大切だから、君が好きだから心配し

ているんだ」

「嬉しいけど、あなたの考えは間違ってるわ」

「では、今の金縛りはどうやって説明するんだ

い」

「そ、それは・・・」

祐子はまた金縛りにあったように考え込んでし

まった。


「そっ、それは、つまり、えーと、テレパシー

なのよ」

「えっ。また突飛なことを考えたなぁ」

「この花が私の心にコンタクトをつけたのよ。

そこで私の心が感応したから金縛りにあったよ

うに見えたのよ」

「君は多分天才だよ。よくそんなこと考えつく

ね」

「考えたんじゃないわ。さっきの安らいだ気持

ちのときのことを思い起こしてみたの。そした

ら、この花が私の心に爽やかな声で囁いていた

のを思いだしたの」

「麻薬による幻聴だろう」

「どうしても私を麻薬患者にしたいみたいね」

「そういう訳じゃない。その花は危険だってこ

とを言いたいんだ」

「絶対にテレパシーよ」

「これは重症だ」

「証拠を見せてあげるわ」

「どうやって?」

「そっ、それは・・・」

また、彼女は金縛りにあったように考え込んだ。

「そっ、それは、つまり、えーと、あなたも体

験してみれば一番なのよ」

「俺を麻薬中毒患者にしたいのか」

「テレパシーだから麻薬中毒にはならないわよ」

「俺はテレパシーとは認めていない」

「だからそのためにも匂いを嗅いでみてちょう

だい」

祐子は無理矢理に花を突きつけた。俺は匂いを

嗅いでみた。良い匂いだった。

しかし、俺の体には何の変化も起こらなかった。

「テレパシーどころか金縛りも起こらないぞ」

「多分、あなたにはテレパシーの能力がないの


よ。テレパシーの受信能力が無ければ金縛りも

起こらないわ」

「よくそういう理屈が考えつくね。やっぱり君

は天才だ」

「ありがとう。でも理屈じゃなくて事実なのよ」

「天才は頑固でもある」

「それ誰の言葉? 格言?」

「俺の率直なフィーリングさ」



 俺は金縛り草の謎を解明したかった。やって

もやらなくてもどうでもいい事だが無性に調べ

てみたかった。

 もう一度相原博士のところを訪ねる事にした。

「博士、例の金縛り草の事なんですが、あの植

物の正体は一体なんでしょうか」

「あれか、あれは八丈草といって、黒潮の洗う

暖かい地域にだけ育つ植物に非常によく似てい

る。この八丈草は葉をとっても翌日に、明日に

はまた生えてくることから、明日葉という名前

もついたらしい。現在ではこちらのほうが良く

知られている。非常に生命力の強い植物で、昔、

不老不死の妙草として珍重されていた。例えば、

秦の始皇帝や漢の武帝が蓬莱の国、つまり日本

のことだが、わが国にまでこの草を求めて家来

を派遣したという伝説さえある。しかし、あれ

は明日葉とはちょっと違う、明日葉は磯の香り

に似たさわやかな香りがするのに対して、ラベ

ンダーのような香りがする。また、葉の形、花

の形も多少違っている。多分明日葉の亜種だと

思うが、はっきりしたことは今は分からない」

「やっぱり日本一の植物学者だ、素晴らしい」

「いや、似ているだけでまだはっきりしたこと

は分からないんだ。似ているが全然違う種類の

植物だった、ってことも有り得るぞ」


「それだけで充分です。ところで、変な質問か

も知れませんが、植物には心があるのでしょう

か」

「心かい? 難しい質問だ。昔から植物学者が

サボテン等の植物を使って植物心理学とか言っ

て、植物の心を調べている学者もいる。その報

告を読む限りでは植物にも心みたいなものがあ

るらしい。人間の心がどこにあるかが分からな

いのと同様に植物の心もどこにあるかは永久に

分からないと思うがね」

「そんな話も聞いたことがありますが、本当な

んですか」

「本当かどうかは問題じゃない、信ずることが

問題なんだ」

「何か、宗教がかってますね」

「宗教か、そうかもしれない」

「ところで、話を元に戻しますが、あの植物は

何で金縛りになるのでしょうか」

「君は、金縛りになったかい?」

「いいえ」

「何で、金縛りになると信じているのかい」

「博士と、祐子が目の前で金縛りになりました

から」

「君は、金縛り教という宗教にはまっている」

「えっ」

「自分自身では金縛りにならなかったんだろ」

「ええ」

「自分自身で体験しないものを信じてはいけな

い」

「あのう、地球が太陽を回っているというのも

ですか?」

「その通り、自分が納得いかないものは信じて

はいけない」

「では、博士は金縛り草を信じるのですね」


「いや」

「だって、博士は俺の目の前で金縛りにあった

ではないですか」

「あれは、初めてみる植物なので考え込んでい

たんだ」

「でも、祐子の家でもよく金縛りにあうとか聞

きましたが」

「誰だい、その祐子ってのは」

「あれっ、姪じゃないのですか?」

「知らないね」

「失礼いたしました」

 結局、俺はなんだか良く分からなくなってし

まった。一体、何を信じたらいいのかが見当も

つかなくなってしまった。



「祐子、例の金縛り草は、相原博士によると明

日葉の亜種らしいってさ」

「ふーん、それで」

「それでって、金縛り草の正体が分かって嬉し

くないのかい」

「前にも、言ったでしょ。名前が分かっても何

の徳にもならないし、綺麗ならば名無しでもい

いって」

「そうだったなぁ」

「こころなのよ」

「こころ?」

「その人の名前が分かっても何の徳にもならな

いわ。その人の心が綺麗ならば名前なんて必要

ないの」

「良く分からないな」

「分かる必要も無いの」

「えっ」

「こころなの、問題は信じることなのよ」

「相原博士みたいだ」


「叔父が何を言ったか私は知らないわ。でも、

こころが大事なの」

「それは分かった。しかし、俺は自分の置かれ

ている立場が分からなくなった」

「明日葉って知ってる?」

「生命力の強い不老長寿の妙草だろ」

「そう、わたしたちの愛のようにね」

「分かった、重要なのは愛の心なんだね」

「そう、そうなのよ」

「でも、何で金縛りになったのだろう」

「あれは、全てお芝居。叔父さんもいっしょ。

あなたのお友達に植物の博士を聞かれたら叔父

さんを紹介するように裏工作するの大変だった

んだから」

「なーんだ。でも、なんでそんな面倒なことし

たんだい」

「叔父さんって、とってもいたずら好きなの。

どうしてもあなたをひっかけたいって」

「結局、見事にひっかかったって訳だね」

「完璧にね」

「でも、なんでラベンダーの香りがしたんだろ

う」

「簡単。ラベンダーの香水を振りかけておいた

から」

「なぁーんだ。ばかばかしい」

「叔父さんが言ってたわ、私を本当に愛してい

たらひっかかるって」

「理由が分からないな」

「それがこころなの」

「?」

「愛に理由が必要?」

「いや、愛にはこころが必要だ」

「私も、そう思うわ」

「こころはどこにあってもいいんだ。重要なこ


とはそれをどうやって育てて、どうやって使う

か。そして、それをどうやって愛に導くかなん

だ」

「その通りだと思うわ。でも」

「でも?」

「そんなこと誰も考えて生活してないわよ」

「考えていない、空虚のものだからこころなん

だ」

「なんか哲学やってるみたい」

「そうだね、結局、俺が祐子を心から愛してい

ることが実証されたんだね」

「そういうことね」



−おわり−

【作・水野 真】


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