万能ダイアリー
水野 真作 作品74
昨日は、久しぶりにかなりの大雨だった。風も強く吹いていてちょっとした台風みたいだった。今日は、台風一過という感じで、からっとした日本晴れだ。連休の最後の日なので、たまってしまった宿題を友達の結香ちゃんに写させてもらいに行く途中なのだ。実は、もっと簡単に通信機能を使ってコピーする方法があるのだが、かわいい結香ちゃんに会うのも目的の一つなのだ。
結香ちゃんの家は、ひと山越えたところにある。山といっても丘みたいなやつで、この山を越えて行くとすごく近道だから、歩いて行くときはいつもこの細道を通って行くことにしている。
僕は、最近発売された万能ダイアリーを片手に持ってさっそうと山道を歩いていた。ダイアリーと言ってもただの日記帳ではなく、コンピュータ・ワープロ、通信機能付きの多機能学習機械なのだ。数ある学習機械の中からこの機種を選んだのは、【運が良かったら素晴らしいビックリ・プレゼント】というキャンペーンがあったからだ。だけど箱からだしてみるとプレゼントらしいものは何も入っていなかったので、残念ながらハズレだったようだ。結香ちゃんにこの事を話したら『単純な人ね』と笑われてしまった。
昨日の雨で道がぬかっていた。それだけではなかった。小川にかかっていた小さな橋が落ちていたのだ。川の幅は1mぐらいなので、飛び越えることにした。助走をつけて、おもいっきり踏み切った。しかし、小川の縁のところが緩んでいたのだろうか、そのままスリップして、小川の中に落ちてしまった。悪いことは重なるもので、何処かに頭をぶつけたらしく、気を失ってしまった。
どのくらい時間が経ったのだろうか、かなりの時間気を失っていたような気がする。しかし、ほんの2、3分だったのかも知れない。僕は小川を這い出て、近くに落ちていた万能ダイアリーを拾って時間を表示させてみた。
ところが、どうしたことだろう、一週間もここで気を失っていたことになっているのだ。そんなことがあるのだろうか? 不思議だ。信じられないので、拾い読みしてみる。僕がちょうど今日だと思っている日からだ。
[‥‥‥予期しないトラブルがあったが、結香ちゃんのに宿題を写させてもらった。結香ちゃんのお母さんは、相変わらずお喋りなので、ゆっくりと二人で話ができなかったのが残念だった。でも、おやつにでたお母さん特製のショート・ケーキがとってもおいしかった]
その次の日は、結香ちゃんの宿題を写したのがばれて、先生に二人で叱られたことが書いてある。
それから3日間は、無難に過ごして、昨日の所にはすごいことが書いてある。
[日記を書こうとして、この万能ダイアリーを開くと、結香ちゃんから電話がかかってきた。学校でデートを申し込んだ返事だった。当然OKだった。それに嬉しいことに、『私、あなたが大好きなの』というおまけの言葉もいっしょだった。いや、おまけではない。これが言いたかったのだろう。と、勝手に解釈する。とにかく、今日は素晴らしい日だった]
憧れの結香ちゃんが、僕のことが好きだと言ってくれたのだ。嬉しくて涙で目が曇った。これは昨日の事だが身に覚えがない。この日記の内容が本当にあったことだとすれば、僕はタイム・スリップしたとしか思えない。そして、これが事実としたら僕の人生はバラ色に輝いているんだ。
頭を打ったせいだろうか、結香ちゃんとの甘い生活を考えているうちに、いつのまにか気が遠くなって眠ってしまった。
どのくらい倒れていたのだろうか、気がつくと近所のおじさんが僕を抱き上げようとしていた。
「おや、気がついたみたいだね。小川を飛び越そうとして滑り落ちたのかい? 昨日は大雨だったからねぇ」
「うん、そうなんです。滑って転んで頭をぶつけて気を失っちゃったんです」
「膝小僧から血が出ているぞ。さあ、家までおぶっていってあげよう」
「泥だらけだからいいです」
「こういう時は遠慮しちゃいかん」
「でも‥‥‥」
「ほら早く」
「それじゃあ。お願いします」
シャワーを浴びて、膝の手当をしてから万能ダイアリーを開いてみた。今日はやっぱり今日だった。つまり、タイム・スリップなんかしなかったのだ。あれは失神中に見た幻覚に違いないと思った。
ところが、そうではなかった。万能ダイアリーのページをめくっていくと、例の未来の日記があった。一字一句あのままだった。あのタイム・スリップは本当にあったのだ。
とにかく、今日結香ちゃんの家へ行って、美味しいショート・ケーキにありつければ僕がタイム・スリップしてまた元に戻ったことを証明できるんだ。
今度は慎重に小川を飛び越えて、無事に結香ちゃんの家に到着した。
結香ちゃんの万能ダイアリーに入っている宿題の解答データをフォーマット変換して僕の万能ダイアリーに書き込んでいると、機械に弱いお母さんが『これ、なにする機械なのかしら。面白そうね、遊ばせてちょうだい』なんて横から口を出す。口のブレーキが壊れたかのように、ぺらぺらとあることないことが口からほとばしる。
「それ、ゲーム・マシンみたいね。きっと結香のと対戦させているんでしょ」
無邪気なお母さんだ。機械に強くて、成績はクラスでトップの結香ちゃんの母親とは思えない。それはそうと、早くショート・ケーキがでないかなぁ‥‥‥と思い続けていた。すると、お母さんは時計を見ながら言った。「あら、おやつの時間になったわね。今日は私のお手製の美味しいショート・ケーキをご馳走してあげるわ」
未来の日記のとおりになった。おやつを食べて宿題のコピーを終えると、心が踊るのを隠しきれなかった。このままずっといけば、結香ちゃんからのラブ・コールがくるからだ。 一人でにこにことしていると、結香ちゃんが不思議そうに聞いた。
「何か楽しいことでもあったの?」
「うん、ショート・ケーキがとっても美味しかったのさ。それから、電話、あわわ‥‥」
「電話がどうかしたの?」
「いや、あのさ、僕の家の電話番号知っているよね」
「あたりまえじゃないの、何回あなたに電話したと思っているの?」
「近ごろ電話がかかってこないから、忘れちゃったのかなと思って」
「あら、そうだったかしら。今度かけるわね」
次の日、学校で宿題のコピーがばれてしまった。結香ちゃんと二人で先生に職員室に呼び出されて、たっぷりとお説教を食らった。しかし、僕は嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。だって、結香ちゃんからラブ・コールがあるはずなんだから。
ついに、待ちに待ったラブ・コールの日になった。放課後、僕は予定通り結香ちゃんにデートを申し込んだ。結香ちゃんは、突然のデートの申込みに戸惑っていた様子だったが、返事はあとで電話でくれると言ってくれた。 楽しくて楽しくて、スキップで飛び跳ねながら歩いていると、歩道との段につまずいて転んでしまった。しかし、痛さなんてへいちゃらだ。結香ちゃんからラブ・コールがあるのだから。
家に帰ると、彼女の返事もその後の言葉も分かっているのに電話が待ち遠しく、時の流れるのが遅く感じられた。
その夜、万能ダイアリーを開いて例の未来の日記を眺めていると、電話がかかってきた。結香ちゃんからだった。
「デートのことなんだけど。どうしても都合がつかないの、ごめんなさい」
「えっ、そんな馬鹿な。うそだろう?」
「なんで、あなたにうそをつかなくちゃならないのかしら」
「だって、デートする予定なんだから」
「だから、都合が悪いって言っているじゃないの」
「でもね、そんなはずじゃないんだ」
「駄目なものは、駄目なの」
「もうちょっと、よく考えてくれないかなぁ」
「うるさいわねぇ。しつこい人って大嫌い」
ガッチャーン。
電話を切られてしまった。まるでおかしい、信じられない。未来が何かの拍子に替えられてしまったのだろうか。そういうことだとすると、パラレル・ワールドの違う世界に紛れ込んでしまったに違いない。学校の帰りに転んだのが原因なのかなぁ。このまえ小川を飛び越え損ねて転んだときにタイム・スリップしたんだから可能性はあるなぁ。
‥‥‥などと考えていると、万能ダイアリーが《You have mail.》と表示しているではないか。誰だろう? 僕の万能ダイアリーのID番号を知っているのは結香ちゃんだけなのに。おもむろに、mailを読んでみる。
《当社の万能ダイアリーをお買い上げいただきまして、誠に有難うございました。
さて、あなたは万能ダイアリー新発売のキャンペーンであるビックリ・プレゼントに当選いたしました。結果はどうでしたでしょうか?
このプレゼントである未来予測機能の確信度は、その日から約3日間において高信頼性があります。突発的な出来事以外でしたならば、過去の日記のデータをもとにして未来を予測しますので、かなりの確率で当たったと思います。この機能はあなたをビックリさせるため、約2Gの加速度を検出したときに作動するようになっておりますが、コマンドでも実行できるようになっています。 末永くこの万能ダイアリーと未来予測機能をお使い下さることを願っております》
なっ、なんということだ、あれはタイム・スリップじゃなかったんだ。一番期待していた今日のだけがはずれるなんて、空しいやら悲しいやら。こんなくだらないキャンペーンを考えついた万能ダイアリーを作った会社が腹立たしい。
ルルルルル・ルルルルル
電話が鳴った。こんな気分では、出る気がしないけれど、しかたなくでた。
「結香です。どう? 万能ダイアリーの未来予測機能は?」
「あれっ、何でそのこと知っているんだい?」
「実は、謝らなければいけないんだけど、あなたの万能ダイアリーに二つのプログラムを組み込んでおいたの。その一つがあなたの行動のモニターで、もう一つがあなたの万能ダイアリーを私の万能ダイアリーの方からコントロールするプログラムなの」
「ということは、未来の日記は全部君の作り事で、僕は君の未来予測で動いていた猿まわしの猿だったということかい」
「ごめんなさいね。でもね、そんな素朴なあなたが大好きなの。それが言いたくて‥‥。だから、いたずらしちゃったの。本当にごめんなさい。それから、今度のデートOKよ。さっきはちょっとからかってみただけなの」
「結局、最後まで未来の日記のとおりになったんだね」
「そうね。でも、私の万能ダイアリーの未来予測・恋愛コンサルタント機能がこんなに良く当たるとは思わなかったわ」
「と、いうことは、猿まわしの猿は僕だけじゃなかったんだ」
「そういうことかもしれないわね」
おわり
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